ロング・グッドバイ

 村上春樹の新訳、レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」。僕は、これを同名のNHK土曜ドラマで知った。

 舞台は戦後間もない頃の東京。浅野忠信演ずる私立探偵がやたら格好良くて、長いドラマだったが、繰り返し見た。

 

 私立探偵・増沢磐二は、事件の黒幕と思しき大物に招かれ彼の部屋で対峙する。とりわけ印象的で、考えさせられる場面だ。

 その大物・原田平蔵が柄本明(彼も良かった)。原田は言い放つ。

「戦争によって、国民の価値観、礼節すべて失われた。国民の空白を埋めるのはテレビだ。国民の頭を空っぽにして、・・・」

増沢「莫大な金を遣ってマスコミの口を封じたのか?。」

原田「歴史に選ばれた人間は目的のために手段を択ばないのだ。」

増沢「飢えた子どもに酒をやって酔わせるようなものだ。」

原田「うるせえんだよ、お前は。ご立派なことを並べて、国民を食わせられるのか?」。

 この後、磐二は平蔵の娘に言う。

「父上は至極真っ当な人でしたよ」。

 

 昭和初頭の日本が直面したのは、世界史の壮絶なうねりの最前線。自らを見失った日本は、うねりに巻き込まれ無謀な戦争に突入した。

 戦争から間もない平蔵のこの言葉は、「戦後民主主義」に対する現実主義とみるべきだろう。磐二の「真っ当」はもちろんシニカルだが、歴史はいつも二者択一を迫る。英米の最先端の?民主主義も2大政党・・リベラルと保守のバランスの上に成り立っている。

 その後、米ソの冷戦が機能し、核兵器のパワーバランスの上に危うい平和が保たれた。1960年台は、リベラリズムカウンターカルチャーの全盛。しかし、マルクス主義を土台とした理想主義・・・大学紛争や民衆運動は、70年台には姿を消した。少なくとも日本においては。

 80年初頭、米英は低迷から立ち直り、サッチャリズム新自由主義が人々を経済成長路線へ連れ戻した。

 「ご立派な理想」は雲散霧消し、日本は再び「食う」ために走り出したが、また波に呑まれる。始めの大波で空中高く舞い上がり、次の波で海底に沈んだ。

 

 先ほどの場面を、チャンドラーの原作はどのように描いているのか気になって、本を買いに行った。旧訳の方がハードボイルドの空気感が伝わるという意見もあったので、新訳と旧訳「長いお別れ」をパラパラと読み比べた。やはりハルキ訳の方が日本語がこなれていて、臨場感があった。

 旧訳は恰好いいかも知れないが、硬質でイマイチ判然としない。

 

 それで、今読みかけているところ・・・。なにせ、読みかけている本が13冊あるもんで・・・。